追悼 ありがとう 志村けんさん

m-pon5

久しぶりのブログ更新です。

ここ一年ほど、書きたいことは山ほどあった。なんと、ほぼ一年前の書きかけの記事は待望のU2来日の記事だったのですから驚いてしまいます。 もちろん、その投稿はボツ(悔涙)

あれから予定通り、新しいコンパクトな新居にお引越し。それに伴う山のような雑用。お仕事に親の介護など。
目まぐるしい昨年の夏からの一年。そんな状況の中、ブログ更新はなかなか難しい。
パソコンを横目に見つつ「はあ~綴りたい」気持ちばかり。

そんな中、どうしても、書きたい。綴りたい。今、綴らなきゃ後悔してしまう。そんな漠然とした想いに駆り立てられるように書いています。


志村けんさんが突然のお別れで、私たちの元から去ってしまった。


とにかく絶対に生還されると思っていたから、耳にした時はデマかと思い、何度もスマホやテレビを確認した。
本当のことだと知った時は愕然とし、知らぬ間に涙がツーッと出て泣いてしまった。


それを知ってからのここ数日間の・・この言いようのない漠然たる喪失感はなんなんだろう。
今までも、疲れた時やなにもかも忘れたい時、BS番組やYoutubeなどでドリフの番組を見て笑い転げていた。
なのに・・今見ると感覚がまったく違う。 笑っているのに、なぜだか泣けてくる。

数日前までテレビの中で、当たり前に痛快で軽妙で元気だった人がもう、この世界にいない。

あのー「志村けん」がもういない。
国民から愛された喜劇の巨星との、あまりに突然のお別れ。 
心がついていってない。
命のはかなさ。 明日のことは本当に分からないと改めて教えられたような怖さ。

でも、一番信じられなく受け入れがたいのは、もう二度と志村けんさんに会えないということ。

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やっぱり「ドリフ大爆笑」のオープニングはこれ!いつもワクワク。
8時だよ全員集合が子供ウケならこちらはもう少し万人向け♪


志村けんさんやドリフの思い出は、多くの人たちにとり ー特にわたしの様に1970年代に子供だった人たちには
とりわけ特別なものであり、彼らはスーパー・スターでありヒーローだった。

王さんやジュリー、ピンク・レディー、百恵ちゃん、プロレス。それらと並び称えてもおかしくないくらい、子供たちからお年寄りまで誰しもが知ってる国民的大スター。 ちゃぶ台、またはテーブルで 家族同じ時間を共有し、お腹がよじれるくらいヒーヒー言って笑い転げ、学校に行けば「カラス~なぜ泣くのー」「なまむぎ、なまたまご」などクラスの男の子が連発。

スバ抜けて格好よくなくても、勉強が多少出来なくたっていい。志村けんのマネをすればみんなヒーローになれたんだ。

かげかえのない二度と戻ってこない、一家団欒の時代の奇跡のようなあったかい日々。
そして、それを40年以上第一線でお茶の間に届けてくれたドリフターズ志村けんさん。

だから、よけいに失ったもの大きさに悲しくてたまらなくなってしまう。
志村さん、本当に本当にいなくなっちゃったんですか?


私たちは、志村さんが付き人をして、荒井さんのあとに入った頃から見ていた。だから志村さんがメキメキと頭角を表していった過程も子供心に全部覚えている。

わたしは荒井注さんの「This Is a Pen!ディス・イズ・ア・ペン」のギャグもひっくり返るくらい好きだった。だから若手の志村けんが加入した頃のドリフを見る会場中のなんとも言えない微妙な空気感も子供心にブラウン管を通して感じていた。
「この人、これから大変だろうなあ」と妙に心配したのも懐かしい記憶だ。


その後はメキメキと力をつけて「東村山音頭」で完全に「志村けん」定着を爆発させ、『ドリフに志村あり』!を浸透させた。

それからは正しく破竹の勢いだった。
それまではカトちゃんが一番手でドリフのオチをとっていたのが、最後のオチは志村けんでほぼ落ち着き、ギャグのトリともいえる真骨頂である志村けんが万を期して画面に表れた時に伝わる、子供たちの「待ってました!」感。
いやあ、スサマジかった。

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長さんとの「もしも~シリーズ」が、これまた抱腹絶倒。これは銭湯編。
もしもオ○○の番頭さんがいたらの巻。
壁に貼ってあるのは杉良太郎様のポスター(笑) 芸が細部まで行き届いてマス!


また子供心に心配したのは(←心配しすぎ笑) あまりに志村けんの人気が爆発的だったので、志村けん加入までそれまで一番人気だったカトちゃんや仲本さんなんかが嫉妬しないかなあ~とか上手くいってんのかなあとか笑・・そんな子供ファンならずともいらない世話を焼きたくなるくらい。 それほどドリフターズ人気というのは、身近で格別。

長さん、ブーちゃん、カト茶、仲本さん、志村けんというのは老若男女。国民に知らぬ人はいないほど。まさに全米中が知っていたジョン、ポール、ジョージ、リンゴ状態ですねえ。


当時いろんなアイドルたちとも共演しました!
志村けんはどんなタレントや女優と組んでも色っぽかったし、また相手のいーい具合を引き出すんだなあ。
わたしは70年代の志村けんのなんとも言えない長髪と垂れ目の微妙なルックスが大好きでした(笑)
淳子ちゃん、由紀さおり、小柳ルミ子との新婚夫婦ギャグ♪ 絶妙なコントにいつも爆笑。

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↑「飛べ孫悟空」人形劇。劇中にこれまた当時人気絶頂だったピンク・レディーも出演。まさに二つの国民的人気者が集結した超級オバケ番組。ピンクのシングル「透明人間」のB面がこの主題歌「スーパーモンキー孫悟空」ときたから両A面みたいなもの。
(出典www.geocities.jp)


そして、私は志村けんさんに、もうひとつどうしても感謝したいことがある。
それはわたしの祖母を幸せにしてくれたこと。

「今日は夜に『カトちゃん、ケンちゃん、ごきげんテレビ』があるから楽しみだやあ」
今から約33年前に亡くなった、わたしのおばあちゃんのそれが最後の言葉だった。

朝起きて畑に行く前に倒れ、そのままその日のうちに帰らぬ人となった、プロレスとドリフが大好きだった祖母。わたしはその最後の言葉を聞くことは出来なかったが、その朝、偶然にソバにいた妹がその会話を聞いていたのだった。

大正生まれで働き通しだったおばあちゃん。彼女がなにもかも忘れて大笑いでき、最後の日まで心ゆくまで楽しみにしていたのが、ドリフであり志村けんさんだった。

ドリフ大爆笑
「ハバンバ バンバン♪ じいちゃん。ばあちゃん、お孫さん、みんなそろってはじめましょう♪」
まさに、この歌。この言葉通り。
わたしの幼き日から祖母のいなくなった33年前も、そして11歳の甥っ子がバカ殿を楽しみにしていた今日の今日まで。

なんと長き日にわたり、わたしたち国民を楽しませ続けてくれたのでしょう。

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ボケ、ツッコミ、どちらをやらせても天下一品! カトちゃん、ケンちゃんコンビ♪このコント・コンビを超える二人はなかなかいません。


世間の一部では、今回のことで志村さんがコロナの恐ろしさを最後に教えてくれたとか、コロナ警鐘に貢献したという意見もあったが、わたし個人はあまりそういう認識の後付けは違うかなと思っている。

なぜなら、わたしは志村さんはやっばりもっともっと生きたかったと思う。やりたいこともいっぱいあったに違いない。

初主演が決定していた原田マハさん原作の映画「キネマの神様」は、ニューシネマパラダイスがモチーフのノスタルジーな作品。
志村さんも心底出たかった作品だったようだし、初めての朝ドラもそうであったろう。夏にはまた舞台も決定していたという。
70歳になってからの、いぶし銀の味を魅せる屈指のコメディアンであり、哀愁と喜劇を滲ませた俳優 「志村けん」を見たかった。 
 心から悔しいし、悲しい。 悲しいよ。 

ブラウン管の向こうから見ていた私でさえこんなに辛いのだから、ドリフのメンバー、お身内の方たちの想いは想像に余りあります。こんなに計り知れないキャリアと人気を保ち続け、国民から愛された人が目の前からフッといなくってしまったなんて。


思い出すと、どの時代であってもその年代の志村さんのにかーっとしたはにかんだ笑顔、ときに照れくさそうな顔が思い浮かぶ。
長い間、たくさんの笑いと喜びをほんとうにほんとうにありがとうございます。

まだまだ信じられないし、
失ったものの大きさを受け止めきれないでいるけれど
ドリフ=志村けんさんは永久欠番です。

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昨日のBSドリフ大爆笑では初めにこんなテロップが。粋ですね。
スタッフのドリフターズ、志村さんへの愛が溢れています。

ドリフ大爆笑の終わりに流れるテーマ・ソング
~お別れするのはつらいけど~♪ いや、わたしもお別れしません。
これからもずっとドリフ、志村けんさんの笑いは不滅で色褪せることはないでしょう。

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Comments 2

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ギターマジシャン  
追悼

治療中である旨の報道から訃報までが、あまりにあっけなくて、まだ信じられないのが実感です。

自分もドリフはリアルタイムなので、荒井注が脱退する移行期間に、「見習い 志村けん」のテロップで、教室のコントに用務さんの役でちらっと出てきたりして、この人は一生懸命さが空回りして、かなり浮いているなあと幼心に思っていました。

正式メンバーとなっても、どこか遠慮したようなところがあったのが、東村山音頭で一気にブレイクして、子供たちが「志村、志村」と連呼するようになると、どんどん輝いていったのが懐かしく思い出します。

バカ殿、変なおじさんなど多くの人気キャラを生み出し、それでいて、サラリーマンが酒場に立ち寄るような自然なコントでもエスプリがきいていて、本当に喜劇王と呼ぶのにふさわしい人なので、本当に惜しまれます。

久しぶりのブログ記事、そして自分のコメントもこんな内容になってしまうのは、すごく残念な気持ちです。

2020/04/06 (Mon) 18:50 | EDIT | REPLY |   
m-pon5
mimi-pon5  
Re: 追悼

ギターマジシャンさま


ご無沙汰しておりますm(__)m こんなに更新に時間空いてしまったというのに、早々にコメント頂いて本当に嬉しいです(^-^*)
久しぶりの更新がこんな思いがけない、悲しい記事になるなんてやるせないというか心から悲しいです(><)


ギターマジシャン様も覚えていらっしゃる、見習い時代からの戸惑いながらも初々しい志村けん(^-^)
思い返せば、私たちは彼が20代後半から70歳になるまで、ずっと彼の活躍を何気なく見続けてきたんですね。


それも40年以上も第一線で、看板番組を持ち続けて…あらためてスゴイことですね。
しかも、司会やひな壇バラエティにもほぼ移行せず、ひたすらコント一筋。コメディアンとして一択の地位を守り通し続けて。


普段はシャイでお酒好きで、なにより海外のコメディや喜劇なんかも徹底して勉強しつくしていたようですから
そもそもの抜群のセンスに加え、ほんとうに努力しつくされての完璧なコントだったんたなと思い知らされます。


わたし、志村さんが時々フリートークでゲストなとで出演してお喋りされてる時、なんかこちらまでドキドキしたんですよね。
恥ずかしそうで口下手そうで、でも一生懸命で。あれがきっと素の「志村けん」だったのかなって。


音楽も大好きな方でしたよね。ビートルズ来日公演を観た話とか、2013年のポール来日時も「ポール、一回も水飲まなくてねえスゴイよねー」なんて感激ぶりがラジオからもキラキラ伝わるようなトークをされていてこちらまで嬉しくなって。

思い返せば「東村山音頭」で子供心に、最初に東京~~への憧れを抱かせてくれたのも志村さんだった気がします(^-^)

こうしてたくさんの思い出を振り返ってみても、影響が大きかったんだと。書いてると、なんだかまた涙腺が緩んできます。
ずうっと、いて当たり前の人だったんだなあと。


ギターマジシャン様のおっしゃる通り、こんなに突然に、こんな思いもしない病気であっけなくいなくなるなんて。
長さんの時も悲しかったけれど、あの時はファンも関係者もみんなが集まってお別れ出来ましたよね。
今回はこんな状況でそれすらも叶わなくて、追悼番組見てもウソみたいな気がします。
早く今の現状が終息しみんなが志村さんに「ありがとう」を一緒に伝えられる時がきたらいいなと願います。

わたしたちの心の中にはドリフも志村さんも永遠ですね。

ギターマジシャンさまのブログにもお邪魔させて戴き、またもう一度じっくり拝見したいです(^-^*)
いつも素敵な演奏をありがとうございます。
東京の方はやはり大変でしょうか。こちらもみんなが落ち着かない状況が続いてます。
一刻も早く、平穏な時がくることを願わずにいられません。



2020/04/07 (Tue) 10:49 | EDIT | REPLY |   

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