ジョン・レノン 12月8日 世界が忘れられない永遠の日

mimi-pon5

12月8日 今日は、ジョン・レノンが旅立って36年になる。日本時間では12月9日でした。

一口に36年といっても、1歳の子供が36歳になる年月。時のあまりの速さに驚くばかりだ。

あの日、あの時、ジョンが地上からいなくなったと知った時・・悲しくて悲しくて大泣きしていたわたし。忘れようにも永遠に忘れられない日。

PC080936.jpg

毎年、毎年、12月になると、私は決まってあの日を思い出し、ジョンを世界中で一番好きだったあの頃の自分に戻ってしまう。

とてもとても不思議で、私はあれから1年1年、歳をとり、色んな事をほぼ多分、普通のように悲喜こもごも体験し経験し、大人というものに一応は、なったのだけれど。


この12月に入ってから、今日8日までの日は、あれから、どの1年の中であっても、ずっと特別であり続ける。あの日の冬に想いを馳せてタイムスリップしてしまいます。


一報が流れたのは、日本では12月9日。 とてもとても寒く、手までもが、かじかむような、冷え込む日だったことをハッキリと覚えている。ちょうど、今日のような・・


あの日の凍えるような寒さ。今よりずっと賑やかだった師走の街並み。夕暮れかかってた紅色の空と冷たい空気。この日がくると、まるで時がストップモーションしたかのように。 時空を超え、あの日へとストーンと戻ってしまう。


わたしが以前、ブログで書いたように、ビートルズが好きで洋楽に目覚めてからは、ジョンが一番好きでした。それはまさしく「恋していた」状態だった。

PC080938.jpg

いつか、ニューヨークのジョンが住んでいるダコタに行ってみたい。彼にいつか会いたい。いや、本当に会えるかも。

そんなどうしようもない果てしない夢が夢とも思わない憧れを抱き、半年前にファン・クラブにも加入。ビートルズを教えてくれた友達と、毎日学校で彼らを語り尽くしたあの少女だった頃。


あの日の夕方。わたしは帰宅したあと、近くのスーパーに買い物に友達たちと一緒に行く予定があった。 そのため、いったん自宅にカバンを置き少しの間休むために、家へ戻ってきたところだった。


PC080956.jpg
ジョンの復活を告げた雑誌「写楽」  この「写楽」はジョンの事件後すぐ完売に。当時、奇跡的に町の本屋で見つけた一冊。すり切れるほど見た為ボロボロに。


そして部屋で、しばし・・・くつろいでいると母が、「なんか、今日、○○ちゃん(私のこと)の好きなビートルズの誰かが撃たれたみたいだよ。今日、ラジオで聞いた」と言うて゛はありませんか。


母は洋楽にはまったく興味もなく、海外スターの名前も覚える気もほとんどないのだから、きっと何か他のニュースと間違えてるんだろうと思った。


「えー、まさか!嘘でしょう。聞き間違いだよ。きっと」私は、一瞬心臓がドキッとする予感を振り払うように笑って言い返した自分。


でも、まさか・・


いや、だって、そんな事ある訳ない! 私は、嘘だ。ウソ。そうに決まってる。何度も反芻した。


今のようにもちろん、ネットがある訳でもない。 ラジオをつけても軽妙な音楽が流れているだけ。

これは夕方のテレビしかない!私はそう確信しました。もう一瞬のこと。


そして、6時。


あの頃は夕方の全国ニュースはどこも6時からが通常。慌てて、「嘘 ウソ」を確認するためテレビをつけた。すると、神妙な顔つきをしたニュース・キャスターが喋ってる。


「今日、ニューヨークのダコタ・ハウスの前で元ビートルズのジョン・レノン氏が銃で撃たれました」


ええっ!?何、言ってるの、この人?そんな事ある訳ないでしょう?ジョンは、この間、長い隠遁生活から抜け出してやっと、ニュー・アルバムを出したばっかりなんだよ。そんな事、ある筈がない、ない!絶対、ない。


『ジョン・レノン氏は、近くのルーズベルト病院に運ばれましたが残念ながら・・犯人はジョン・レノンのファンで、すぐ取り押さえられました』 アナウンサーは続けて何度も繰り返して伝えていて、ニューヨークの中継も交えて、中継レポーターとその場所が映っている。


身体中が震えてきた。溢れてくる涙を堪えようともせず、あちこちチャンネルをペチペチ回し続ける。あの頃はリモコンじゃなかったから、回し過ぎるとチャンネルが取れて使いモノにならなくなる。 でも、そんなことはもうどうでもよかった。


ひたすらに、頭の中は、、、ただチャンネルをひねること。それしなかった。


絶対、間違いないであってほしい。もし、そうでなければ「一瞬たりとて情報を漏らしてはいけない」と必死でした。でも結果、どのチャンネルを回しても、同じニュースが流れている。この日の、6時のトップ・ニュースはどこもこのジョン・レノンが撃たれたという一報ぱかりが冒頭だ。


PC080949.jpg
直後に発売されたジョンの本。これまた時間の経過でヨレテいる。見返すたび、あの日の事が昨日のことのように思い出されます。


まだ家庭用ビデオ・テープも、一般的に普及されているのも、ままならない時代。半ば信じられないまま、ニュースを見ながら、それでも絶対情報を聞き漏らしてはいけないと、カセットデッキをテレビのスピーカーの前に置き、アナウンサーの一言も聞き逃すまいと泣き声を必死でころしながら、録音し続けた。

わたしはニュースが終わってからも放心状態。それでも、この「間違いのない事実」だけを、どうしても伝えなければならない人がいた。


それは、、私をビートルズ・ファンにしてくれるきっかけを作ってくれたこのブログにも書い友達だった。初めてビートルズのシングル盤をわたしに貸してくれた。あの瞬間からわたしの世界は変わったのだった。

私は、フラフラと電話の側に近づき、、声ともならない声を漏らしながら、彼女に電話をかけた。友達は、そのあってはならない報道をまだ知らなかったようだった。


そして。。。一瞬、「えぇ?」って声をあげ、深い涙声になった。


「ジョンが、ジョンがね、撃たれて亡くなっちゃったんだって」「えっ、嘘、嘘だよね?」「今、ニュースで見たら本当だったの。本当だって」「えー、信じたくないよ。そんな、そんなあ」

2人して受話器越しに泣いた。 おい、おい泣きました。


その日、わたしは実は他の友達たちと、近所のスーパーに買い物に行く待ち合わせをしていた。しかし、到底、行けそうもない。
しかし待ち合わせ場所になんとか行かなければならなかった。 「今日の買い物は無理になった」と伝えるために。


「ごめんね。今日、買い物に一緒に行けなくなっちゃったよ」

「どうしたの?」

「あのね、ジョンが撃たれてね、、それでそれで・・」


私がビートルズのファンだと知っていた2人は、私の説明と泣き顔を見て、すぐ納得してくれた。

「ええっ、いいよ。そんな時なら」と気遣ってくれたその時の友人。例え、若き頃のように日々連絡をとらずとも。あの時、その日の特別な日の私を知ってる友人は、やっぱりいつまでも特別な存在である。


あの時間、あのクチャクチャな泣き顔まで、全部を見ていた青春の仲間。一応、肩書だけは「大人」になった。けれど、心の奥にある自分自身はどこかあの頃の、純粋だった気持ちを忘れたくないと思っている。

それに時に帰れる場所は、心の奥にでも、土地だって、そして友達までも、家族でも、やっぱり永遠に大切なものだから。

まるで、そのままビートルズの曲、「In My Life」のようですね。


PC080950.jpg
「写楽」の中の1ページ。 私がそれまで知っているどのジョンより、ずっと穏やかな顔になっていた。


その日は、もうひたすら泣きじゃくってはかりいた。

そしていてもたってもいられなくなり、、とにかく情報が欲しかった。


でも、あの時代は海外のリアル・タイムの海外ニュースなど、まだ、ほぼ入ってこない頃。夜の報道専門番組が出来たのは、まだ80年代後半になってから。もう、どうする事も出来なかった。


その中、もっとも時間を割いてくれたのが、NHKの当時の看板ニュース番組だった。

「ニュース・センター9時」 冒頭、15分。簡単なジョン・レノンの偉業を振り返り、ついこの間、「ダブル・ファンタジー」のジャケット撮影でダコタでジョンとヨーコに会った篠山紀信さんのインタビューが映し出されて。


PC080955.jpg
篠山さんの映したジョンの顔は彼の人生の中で最も平和な時を写してるようだった。だって今まで、本当にへヴィな人生を生きてきた人だったから。やっと今、なににも惑わされない自由の中にいるように見えて。


そしてジョンとのラジオ・インタビューに先日、成功していた湯川れい子さんへのインタビュー。流れたジョンの曲は、PVの関係で「スタンド・バイ・ミー」「スリッピン・アンド・スライディン」


この時、ほとんどの日本の放送局はこの2曲。または「ヘイ・ジュード」や「イエスタディ」を流してました。なんだか息がふっと抜けるような感情だったれけれど、あの頃の日本の報道の認識はそんな曖昧なものでも仕方ないのことなのだと思ってましたね。


当時、「イマジン」を流したテレビ局は正直、日本に一局もありません。それが何故、記憶にはっきりあるかと言うと、私は、この時、放映したテレビのジョン関係のニュースをほぼ全部カセット・テープに録音していたからです。


そのテープには、私のテレビを見て泣く当時の声も入っています。。


たまに時折、聞き返す事もあったのですが、何とも恥ずかしく。でもその頃のなんにも一生懸命だった自分がいとおしく、懐かしさでいっぱいになります。。タイムスリップという表現があるなら、そのテープにその時間に二度と帰れない切なさまで入ってる。


翌日。私は、ショックの余り、当然?学校を休んでしまいました。(名目は、『風邪を引いた』)でも、本当は悲しみもあったけれど、翌日のワイドショーなどで放送されるジョン関連の番組を全部見たかったから。


まさしくズル休み。


しかし実は、友達たちは、みんな知っていた。「きっと、○○ちゃんは、ジョンの事がショックで休んだんだ」と、みんな分かっていたそう。


翌日、みんなが「○○ちゃん、大丈夫?」って気遣ってくれた優しさは大人になった今も忘れません。その中には、あのビートルズのレコードを貸してくれた、一緒に電話で泣きあった友達の心配そうな顔も・・。

ジョンが旅立った悲しい日は、こうした青春の温かく、きゅるきゅると切ない思い出とも結びついている。だからこそ、より特別な思い出として残っているのですね。

PC080941.jpg
ジョンの事件後、発売になった「ミュージック・ライフ」発売日に即効本屋さんに行きました。MLでジョンが表紙になるのは何年かぶりのこと。復活した記事となるハズだったのに・・ただ、ただ悲しかった。


あれから36年。


思い出しても、本当に大きな出来事であり、大きな事件でした。


決して忘れられないあの日。あの時、こんな大人になっても、ザ・ビートルズが世界中で愛され続けて、ジョンの音楽が世界中で溢れているとはその時、想像しえたでしょうか。


私もそれから色々な経験もし、もちろん他に夢中になったことも数えきれないくらい、暇いとまがない。

それでも、ずっと心の中心にザ・ビートルズがいて、ジョンがちゃんと特別な存在としていたくれた気がしている。いつでも戻れる場所として。 それはまさしく心の故郷。


いま、ジョン・レノンを語る時、「愛と平和」で語られることも多い。けれど復活した80年時のジョン・レノンの風貌を久しぶりに見た時、わたし個人は「ああ、ジョンは今が一番生きてきて幸せなのかなあ」と思ったんですよね。


PC080944.jpg
ミュージック・ライフのフォト。まるで透き通るような美しいジョン。


この頃、ジョンに会った篠山さんは「70年代前半のアクティヴなイメージがあったから、ああ、いい具合に枯れてるなあ」と語っていた。


当時の湯川さんのインタビューでも、「今一番欲しい物は何ですか?」とジョンに質問したら、「贅沢な車も乗ったし、色々なことはやりつくしたけど「今、一番欲しいものは、Peace & quiet (静けさと平和)だけ」と答えていたという。


個人的に、もうこの頃のジョンは、大きな動の世界平和というより、内なる手の平の中の「静」=平和を望んでいたのではないかと思う。それは、ギラギラしたり抑圧されたものに反抗するのじゃない。

「僕は僕自身で行くよ」という、子供時代、ビートルズを経てソロになり、それは中身の濃すぎる反逆児だったジョン・レノンが、やっと辿りついた本当の自由な場所だったのではいでしょうか。


音楽が好きで、ワクワクしてギター片手に、ラブソングをイキイキと書いてたジョン。それはあの「A Hard Days night」の頃。そんなジョンの創作意欲にまた一番回帰した時じゃなかったかと。ただこれからは楽しく音楽をやっていこうと。

遠いところから何かしら発信はしたかも知れないけれど、もし生きていたとしてもジョンはきっと平和活動というものから、一歩引いて静かに世間を見ていたような、そんな存在になっていたような、そんな気がするのです。


全てを削ぎ落としたかのように、穏やかで枯れていたジョン。


「40歳になって、今が人生の折り返し地点。元ビートルズではない、ジョン・レノンとしてまた新たに生きていきたい」


ジョン、どうして地上からいなくなってしまったの。とてもとても悲しい。30数年の間にも時折、未だに悔しくてたまらない気持ちになる。ビートルズのファンはみんなそう思ってきました。そして、私たちのようにジョンが生きていて、ジョンがそこにいる存在として、少しでもジョンの息ぶきを感じていたファンは。

IMISS YOU JOHN。あの日からまるで変ってない心。


でも、あなたの歌、曲、声はずっと永遠ですね。これからもファンの方や、私にとって12月8日はずっと永遠に特別な日であり続けるでしょう。


ジョン、心からありがとう。
この世に生まれてきてくれて。




スポンサーサイト



Comments 2

There are no comments yet.
ギターマジシャン  
はじめまして

時々、こちらのブログを訪問させていただき、ビートルズの記事を楽しく読ませていただいていました。

昭和のアイドルやブルース・リーに999も、自分にはドストライクで、すごく懐かしくなります。

ジョンが亡くなった日のこと、自分も去年のブログに書きましたが、ほとんど同じような体験で、当時のビートルズのファンは、みな同じような思いをしたのだと、しんみりとします。

それにしても、どの記事も、昔の本や雑誌の資料の多いことに驚きます。

2016/12/09 (Fri) 19:04 | EDIT | REPLY |   
m-pon  
>ギターマジシャンさま

初めまして。こちらこそお越しいただいて感激です!ありがとうございます。
昭和大好きですので同世代の方のお話はとっても嬉しいです。
ブルース・リーも999もビートルズもずっと永遠ですね。
心にいつも染みついてるというか(笑)
もうずっとリアルタイムな気がします。

1980年の12月8日。他の年のその日はすっかり忘れているのに、
あの8日だけは昨日の事のようにハッキリしていて・・・。
おっしゃる通りファンにとっては何十年経っても
しんみりと切ない特別な日ですね。

昔から夢中になる物は何でも熱中して収集してたような気がします(泣笑)
若い頃は家族に「そろそろ捨てたら?」「底が抜ける」などと言われて何十数年・・今はこういった場所で少しずつご紹介させて頂けるので、
恥ずかしながら良かったのかな(^^ゞ?と思ったりしております。

また少しずつ更新、懐かしい物など紹介させて頂ければと思いますので、
どうぞお気軽にお立ち寄り下さいませ♪

2016/12/10 (Sat) 12:29 | EDIT | REPLY |   

Leave a reply