「EIGHT DAYS A WEEK」 エイト・デイズ・ア・ウィーク ザ・ビートルズ 観た②ざっと、おさらい

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ザ・ビートルズの映画「EIGHT DAYS A WEEK」の二回目を先週観てきました
今度は、じっくり一度目より少しだけ興奮も収まり、画面に集中!
またまたワクワク時間を過ごしました。
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こんな場面は登場しませんが、アイドル絶頂期、ツアー時代の彼らを描きます。
1964年4月 27日テレビ放映された「アラウンド・ザ・ビートルズ」の4人。

と、いう事で、一回目、観た感想に続いて
自分でこの映画を観た記憶をたどる、
プレーレイが発売される前まで、まとめておく意味でも
「ざっ」と本当にざっくり振り返りろう~と思いました。

まだ観てない方など、どうぞご注意下さいませ。

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「抱きしめたい」が全米で1位になる報告を聞く前、
「パリ公演中」のホテルの中でフォト・セッションをした4人。
ホテルで、ロード・マネージャーのマルから「全米№1」の報告を聞くことになる。
狂喜乱舞した4人、さあ、いよいよアメリカ上陸です!!

映画はとてもエネルギッシュな、まだテビューまもない63年、
イギリスでビートルズの人気が爆発した
「マンチェスター公演」のシー・ラブズ・ユーが映し出されます。

もう、この4人の頭フリフリ、熱唱する姿を観るだけで
初頭から大興奮♪ カラー映像は65年「ポップ・ギア」からの映像です。

そして映画は彼らの出会いにさかのぼり
キャヴァーン、ハンブルグ時代の4人の流れを紹介します。

レア 「some other Guy Cavern Remaster take one & take Two」

このキャヴァーンのライブ映像は、ビートルズを映した最も古いものとして
「アン・ソロ」にも収められ有名ですが、この動画は特にレアだと思います。
個人的には始めて見た、バージョン違いが2テイク収められています。

今では良く見慣れたヴァージョンが初めて私達の前に紹介されたのは
81年くらい、今から35、6年前だったかと記憶しています。
「ビートルズ最古の映像が発見された!」と
NHKのニュースでも取り上げられたのを
ハッキリ覚えています。

さて、いよいよ、全米№1になり、ザ・ビートルズはアメリカ上陸。
こ存じの通り、想像を遥かに超えた一大旋風を巻き起こしますが
映画は、その時の映像で御馴染みの「エド・サリバン・ショー」
カラー・ライズ化された「ワシントンDC」などの映像が続きます。

The Beatles 「Washinton DC」
映画では「アイ・ソー・ハー・スタンディング」の場面ですが
ともかくファンの熱狂ぶりが凄まじいですよね。
何回も観てる筈なのに、身体が自然に動いてきます。

映画の方は、カラー化されていて、マルがリンゴのドラムを
移動させる姿がハッキリと映る。
まだ、この頃はロック・ライブの体制自体が整ってない事が分かりましたね。

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アメリカ上陸、記者会見のプラザ・ホテルのパロック・ルーム。
記者1人1人が、各人に質問しようと押し寄せて大混乱。
彼らの周りは激動の数年間、いつもこんな風だった。

そして、この映画の予告編が流れ始めた時
ジョンのこのインタビュー場面が話題になった。

「あなたの名前は、えっと?」
「エリックだよ」

このシーンはアメリカのファンの間でも話題になった様で
「エリック・レノン最高!」なんてファンのコメントも出た。
ジョンのジョークでもあり、ちょっとお疲れ気味で
自分の名前も知らない記者に呆れ気味だったのかも。
その後はちゃんと音楽について答えていますね。

その後、2週間のアメリカ滞在を終え
初主演映画「ア・ハード・ディズ・ナイト」の撮影、
イギリス公演など爆発した人気が続く。


映画でも公開された、その頃のビートルズのテレビ・インタビュー。
映画では、3分13秒からの場面が使用されていた。

司会者「いつも素敵な曲を書きますね」
ジョン、ポールおどけて「ありがとう」
司会者「どんな風に曲を書くんですか?」
ポール「うーん、そうだね。ギターで合わせたりピアノを弾いて。
ジョンが一人で書いてくることも多いよ」
など、トークしている。

オアシスのリアムは「ジョン・レノンが俺の全て」と公言しているが
彼曰く「ジョンの歌う声は勿論、話してる声も大好きなんだ」の通り
こうして見てもジョンの声や仕草は本当にセクシー。
ポールは誠実で可愛らしい美青年といった感じ。
この2人のコントラストの違いもビートルズの魅力だ。

そして、6月ビートルズは初のワールド・ツアーに出る。
ここでも熱烈に迎えられるのだが、最も映画を観て驚かせられるのは
オーストラリア公演の熱狂ぶりです。

映画を観ると、空港からホテルので15キロまでファンが続き
25万人の人が集まったというから空前絶後であります。
シドニー公演では、この時すでに7万2千人動員しているという。

この後、64年またビートルズはアメリカに戻り
32日間で25都市を回るという
聞いただけで凄まじいアメリカ・ツアーに出る訳です!

その時のビートル・マニアとの協奏曲は、今映画を観ても
その熱狂ぶりにただ、唖然とするばかり。
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映画には出てはこないが、勿論、ファン・クラブもてんやわんや。
でもこの当時はファンを大切にしていたビートルズは度々事務所も訪れて
ファン・レターを読んだりスタッフを励ましていたりした。

映画では、この頃の社会情勢も含め、その当時、
ビートルズから影響を受けた人達、エルヴィス・コステロ、
彼等と直接仕事をしたリチャード・レスター監督などの
インタビューも紹介していきます。


中でも、当時のツアーに同行したジャーナリストのラリー・ケインの
ビートルズ人気のスゴサをダイレクトに伝える当時の記録、
記録は生々しく、貴重だった。
今回、映画のプロモーションで、アメリカの各テレビに出演した模様。

翌年の65年は更に大規模なツアーを行う。
ヨーロッパ、アメリカでは、あの「シェイ・スタジアム」
「ホワイト・ソックス・バーク」昨年に続き「ハリウッド・ボウル」など。
余りの人気にファンが会場外にまで溢れて
警備にも支障が出た為、大規模なクラスの会場が
用意された経緯ですが、、

映画を観ていて、明らかに当時の機材がこのクラスの会場に
追いついていなかった事と、ビートルズの4人が
ファンの熱狂の大声援の中で、それとは逆に
モチベーションが下がっていくのが如実に分かってくる。 

この頃のビートルズのインタビューを読むと
「コンサートの前にまったくリハーサルをしていなかった」
と語っている。
もう、半ば観客は誰も聴いていないんだから、
すでに投げやりな気持ちも伺える

そして、1966年、最後のライブ・ツアーになる、この年。
西ドイツ、日本、フィリピン、そしてラスト公演になる
「キャンドル・スティック・パーク」を含むワールド・ツアーをスタート。

ご存じ、日本公演も行われている。
ファンなら知っている映像が多かったが
映画は、特に日本だけのスペシャル・バージョンとして
日本滞在部分が少々長くなっていたようだ。
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映画には出てこないが、ザ・ビートルズの日本での記者会見の様子。
所有の雑誌から。カラー写真で見ると、4人のファッションが鮮やか。
特にジョンのピンクのカラー・スーツが一際目立っている。

この頃の彼らはそれまでのシックなスーツに比べ
カラーがハッキリする様なセンスの服を着ている。
60年代の最先端のファッションを取り入れてるのが分かります。
当時のファンはなかなかカラーで見ることが出来なかったろうから残念。

この当時の他の記者会見に比べて、日本公演の記者会見でのジョンは
割と気分が良かったのか、映像などを見てもご機嫌良く微笑んでいる。
ジョンのことだから内心は分からないけれど、ハイ♪になっていた感じだ。

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所有している本。86年に出た「ザ・ビートルズ・イン・東京」から。
ホテルにやって来た呉服屋から、キモノを買ってごきげんなジョン。
メンバー4人とも、家族や親類たちにとかなり多くのキモノを購入したそう。

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同書物から。洋服屋をホテルに招いて、スーツを新調するポール。
この時作ったスーツはこの後アメリカ・ツアーで着用された。

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武道館内の特別室で、公演前、チューニングをしているジョン。
この後着替えてライブに向かった。
リハーサルはしないが、楽器のチューニングはさすがに欠かさなかった。

66年、この後フィリピンで散々な目にあい、ジョンの発言により
非買運動がアメリカで起こり、また最後となってしまった
大規模なアメリカ・ツアーも、爆破予告や、豪雨などの
トラブル続き。映画では、そんな様子も克明に描かれている。

チケットも完売ではなく、そんな露骨な
記者から質問も受けていたが、
もう、4人とも、ほとほと、全ての事にうんざりだったようだ。
バンドとして歓声だけの観客に演奏する虚しさ、心身共の疲労。
アイドルとして振る舞う事への限界。毎日、同じことのルーティーン。

リンゴはあるインタビューでこの当時のことをこう語っている。

「1日、24時間、休憩もなしだ。新聞記者は、もみあいながらホテルの部屋へ
なだれ込んできたり、排水管づたいに、よじのぼったりするんだ・・
こんな事が続いてたら、きっと気が変になったろうよ」と。

映画の中で、ライブ最後となった「キャンドル・スティック・パーク」の
コンサート終了後、ファンから避けるように護送車で球場を去る
ビートルズの何とも切ないこと・・。
「これで終わりだよ」と、車の中でひっくり返りながら
メンバーが呟いていたというのだから、
もう限界と共に、ホッとしたのではないでしょうか。

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唯一、4人が熱中していたもの、それはやっぱりレコーディングだったのは
ご承知の通り!公演の中、あの「リボルバー」を発売。

ポールは「まだ、誰も作ったことがないサウンドなんだ。
これまで誰もだぜ」と当時、語っている。

ビートルズも成長し、60年代の半ばまできて、世の中も急激に変わった。
ファンだけが変わらないビートルズを追い求めていたのかも知れないですね。

そして、映画は全ての公演を中止した彼等の足跡を足早に描く。
傑作となった「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
~そして「アビー・ロード」「レット・イット・ビー」

最後は、ルーフ・トップの映像で締めくくられる。

個人的には1回目の感想に綴ったように
ツアーのビートルズまでを鮮明に描くのなら
映画「レット・イット・ビー」に含まれるルーフ・トップで
終るのはどうなのかとも思ったのですが
(心の中で、もう一度映画「レット・イット・ビー」のリマスターを
劇場で観たいという希望かあるからでしょうか)
ライブのビートルズを最後まで観客に届けたかったのかもと
監督の思いも感じ取れた。

駆け足で振り返ってみた映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」
秋にはブルーレイも発売が決まっているので
どうしようかと思ったのですが、
映画の中にはYou Tubeで見れる映像も多かったので
自分なりにまとめて見れるようにしたかった為もあり
大まかに綴ってみました。

しかし、勿論、You Tubeで見るのも楽しめるに間違いないのですが
劇場の大迫力の画面と高音質で観るザ・ビートルズというのも
比較ににならない程、価値があったという事もまた事実でした。

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アイドルから、69年のルーフ・トップまで経った8年。
全力で駆け抜けて、世界の皆を虜にして、アーティストとして成長した4人。
ファンは映画を観て、その後のビートルズの4人の辿る道、
そしてそれぞれの生きる道を知ってるから
余計に胸が熱くなるんですよね。

「ハリウッド・ボウル」のCD発売、そして「エイト・デイズ・ア・ウイーク」公開と
ちょっとファンも一息ついた感じです。
後は、リンゴ・スターの来日の日を無事にと、待つばかりです


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